今朝は、ザワザワした気持ちと共に起きる→
中城村のSangoパークまで草刈りに行きながら、仲間に話を聞いてもらい、感情の整理→
草刈りで元気になる。
という一日だった。
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やたらと光ばっかり求める時があった。
闇などあってはならない、闇は打ち消さなくてはならない、光を見ていなくてはならない、とでもいうかのように。
闇に対する強い拒絶意識があり、その対極にある光ばっかり求めていた。
そして最近は、その逆になっている。
光の部分に目が行かず、自分の闇の部分に意識が行き、そこばかり見てしまうとか、気分が落ち込むとかいうことがある。
家族との、過去の出来事(悲しかったこと、感情のすれ違い、理解してもらえなかったとこなど)を思い出して、悲しみや腹立たしい感情を反すうしたりしていた。
以前は潜在意識に隠して、見ないようにしていた、闇の部分だ。
最近はこれらを見ることが出来るようになった。
でも逆に、今度は闇に、好んで入り込んでいっていないか?と、今朝、ふと思ったのだ。
1くらいのことを、100くらいの大きな出来事にしてしまっているんじゃなかろうか。
例えば、昔の出来事を思い出して、出てきたマイナス感情を認めて、許す。
そうすることで、心の傷は軽くなり、魂は変化していっている。
暗い闇を表に引っ張り出して、光に変えていっている。
なのに、その記憶に何回もアクセスして、その時の気持ちを何回も思い出そうとしたり、自分の闇からなかなか離れられなかったり。
これってひょっとしたら、光に対する恐怖感があるからなんじゃ?
「光に向かっていることが恐い」んじゃないか?
色んな感情を認め、「許し」を自分の中で行ったことで、もう心は変化している。
魂は成長して、霊性も進化している。
しかし、その進化が「恐い」んじゃないかと。
自分が、光に行けるはずがない。
みたいな。
闇から光に向かうことへの恐怖感。
恐怖感から逃げたいという意識が、闇に引き戻す。
長らく闇にいたから、そこにいる方が安心するからだ。
恐れって、何にでも現れてくるんやなぁ‥。
進化して光に向かうのが恐い、は確かにある。
深刻すぎるんだな。
小さなことを重大な出来事にして、「解決するのは難しい」出来事に、自分でしちゃってる。
そこまで気づいたら、あっほらしー。
と、思えた今日の朝だった。
そして、仲間と一緒に思いっきり体を動かして、畑(Sangoパーク)の草刈り。
祈ってから作業を始め、草や土地と意識で会話して、無意識でも会話して、軽やかに気持ちよくできた。
誰かと一緒に、何かをやるっていいな。
お日様の下で動くと、エネルギーも満たされる。
感謝。
今日という1日をありがとうございました。
ビフォー
アフター
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