今日から福島県でのワークに参加している。
午前中に動画の上映が始まったが、それは見ないで仲間と3人、部屋を出て別のフロアに移動。
お金の話をした。
私が22日から福島の人達と行く、巡礼の旅にかかるお金についての話だ。
じっくり時間をかけて話していくうち、感情の引っかかりが色々出てきた。
感情を整理していくうち、最終的に、思いもよらない傷があったのを見つけることができた。
私は7歳の時に父と出かけて、歩いていた時、速いスピードで走ってきた自転車にぶつかる事故にあった。
その時、右半身の肋骨が全部へっこんだ。
おそらく右側の肋骨全部折れたんだと思う。
ぶつかって倒れ、呼吸が出来なかった。
息が出来ないから、声も出ない。
口は開いても、口パクしか出来ない。
倒れながら見ると、父はスタスタと前を歩いて行っている。
気づいてないのか。
見たくなかったのか。
大丈夫、とか、救急車とか言っている人の声が聞こえ、自転車の男の子も心配して大丈夫、と聞いてきたが、私は口パクで大丈夫とか言って、息が出来ないのに立ち上がって体を両手で押さえ、体を丸めながら父を追いかけた。
息が出来ないから、まさに息も絶え絶えだ。
ヨロヨロだったはずだ。
結局、家に着くまで歩き、父には何も言わず、病院に行くとかもしていない。
救急車も呼んでいない。
翌日は体の右半分、内出血で紫になっていた。
さらにその翌日は、真っ黒に。
びっくりして、私は死ぬのかなと思ったりした。
事故後から、体を丸くしないと激痛が走るから、エビみたいに丸くして過ごしていた。
そして長い間、まともに息ができなかった。
吸うと肋骨に激痛が走るからだ。
事故の時、歩いて行ってしまう父に「助けて」と言いたかったが、私は飲み込んだ。
苦しかったが、倒れたままでいることも選択せず、
置いてかれたら大変だという気持ちしかなく、必死で追いかけた。
帰宅後も、両親に言わなかった。
強烈に切望したはずなのに、そこまでして飲み込んだ、助けての感情。
今日は仲間の力を借りて、記憶をじっくり見つめ、深く掘り下げたら出てきた。
実は事故の時だけではなく、私は普段から、父に見てもらっていなかったのだ。
そして母にもだ。
気づいて愕然としたが、事実だった。
私が黙っていたとはいえ、子供の様子がおかしいとか通常は気づくのではないか、と伝えてもらい、ハッとした。
父はそういうことに気づかない人だったのだ。
あるいは見ない人だったのだ。
母も気づかない人だった。
あるいは見ない人だった。
2人して私の様子を見ていない。
見ていたんだろうけど、肝心のところを見てなかったんだと思う。
親にちゃんと見てもらえない、というのが常態化していて、自分で何とかしないと、という感情が子供の頃から芽生えたのだ。
つまり私は、完全にアダルトチルドレンだった。
そんな認識、今日までなかった。
見てもらえない、という日常が心の傷を作り、相談ができないという自分の癖を作っている。
お金の相談だけではない。
すべてのことに影響している。
どうせ見てもらえないのだから、という感情。
そんな心の傷が、脳の働きも狭めているんだなと思った。
虐待された子供は、思考能力に問題が出ることが多いというのを、本で読んだ事がある。
私もそれじゃないのか。
父は悪気はなかった、父も弱かったんだ、誰にでも弱さはある。
と、父を理解した「風」にして、大きなショックを受けたであろう出来事を、スッと流そうとしていた。
重いことを軽く流し、精神的な虐待を受けたという事実から目を背けていた。
そうだ、これは虐待だ。
恐かった。悲しかった。
それを言葉にした。
泣くまでには至らなかったが、泣きたい気持ちになった。
今までずっと、自分の感情を見ることをしてこなかった。
過去の傷を終わらせるためには、見ることをせずには終わらせられない。
最近、それをやり出して、前よりは感情が出てくるようになった。
でも1人だけでは感情のフタが完全には外せないから、仲間が2人、手伝ってくれたことは、天の計らいに違いない。
そうやって長い時間をかけて、自分の傷に向き合うことが出来た今日という日は、貴重な日だった。
ワークの動画は見ていないが、自分にとってはこのことがワークだった。
今回福島ワークに来る前に断捨離をしてきたから、その効果もあったと思う。
スッキリと終わらせる時が来たのだ。
今日のワークと、今日の流れと、仲間と、自分に感謝。
大切な一日をありがとうございました。
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