自己肯定感
見るもの、聞くもので感情が揺さぶられ、魂が揺さぶられる。
色んな本、動画を見て、自分の中に残るものがある。
そこから行動が変化することもある。
映画「国宝」を観た。
人に理解されなくても、自分がやりたいことをやり続ける覚悟があった。
人に理解されずに、やりたいことをやり続ける道は、孤独だ。
それでもやり続ける覚悟があるかどうか。
自分に突きつけられるものがあった。
最近、モコさんの学びの時間があり、遺伝子易経での私のテーマは
「自己肯定感」だった。
映画「国宝」は、自分のテーマと共鳴した。
私には、色んなことを頭の中でグルグル考える気質がある。
結果、その思考の渦にはまってしまい、動けない。
物事をスムーズに運ぶことばかり気にしたり。
やりたいことをするにも、資金面を気にして自分に圧をかける。
また、学校生活、社会人生活の中で、「できる」「できない」の評価基準で
動くことを育んでしまった。
できる人が評価されるから、無理してでも頑張る。
やりたいかどうか、という自分の気持ちは無視。
やりたくないことでも、組織に従うことが正義って思ってた。
キカイニンゲン。
そこで自分を見失った。
映画の感想を、一緒に見た仲間と熱ーく語り合ったりしたけど、
自分の中で出た結論は、シンプルだった。
心惹かれるものに、素直に向かえば良い。
他に、最近やり始めたことがある。
注意があちこちに散って、思考がグルグルとしてしまう
自分を丁寧に扱うために、
小さなことでもいいので言葉にしていくことだ。
すると、気持ちが楽になっていくのが分かった。
ほんの小さなことでも、抑えないで、解放していく。
それだけでも、私の圧が減り、周りへの圧が減る。
私は地球の一部。
自分の圧が、地球を壊す。
それはやりたくない。
でも、自分に厳しいのも地球を壊す。
フラクタルについて、さんざん学んできたのになー。
頭の中で、理解したつもりになっていただけだったわー。
自分にいかに丁寧にできるかだ。
「できる」「できない」の評価基準で動くクセとか、
思考がグルグルしてしまうクセは、まだまだあるけど、それも許す。
小さなことから、自己肯定感を体現していきまーす。
LOVE。
~Sango理念~
のびのび わくわく らんらんらん

Sango HP
意識にない記憶の話
人の記憶はバケツと同じ。
水がいっぱいになったバケツに、新しい水を注いでも、新しい水はこぼれ落ちる。
それと同じように、古い記憶はずーっと残るけど、新しく覚えたことは、なかなか残らない。
この話は、那覇のお琴の先生から教わった。
大人になってから勉強しても、すぐ忘れる。
だからお琴の練習をたくさんして、精進しなさいよ、という教訓として。
昨日、モコさんから、0〜6歳の間にした記憶は、無意識にたくさんあるということを教わった。
そしてその頃の記憶は、根深く残るということも。
今の自分の癖は、その時の記憶から来ているのだと。
その頃に見聞きした、家族の動き、クセ、思考パターン。
顔色や話し方、動きで察した感情。
そこから全てが始まっている。
それを聞いたら、今の自分の気質、クセに納得できた。
敏感な思春期に、両親や周りの人達から影響を受けて人格が形成されたと思いがちだが、本当はもっと早く、生まれた瞬間から、周りを見て色んなことを察していた私。
意識すらしてない、奥深いところにある記憶。
良い、悪いではない。
あるものを、あるとして、私が私を理解していく。
両親にそっくりな気質を嫌って、自分を正そうとか矯正しようとか、頑張っても苦しいだけだ。
人並みに、とかまっとうに、とか。
苦しみながら自分を殺して、自分じゃない人を演じるから疲れる。
結果、壊れる。
自分を無視してきたから、壊れたんだ。
「自分に対して謙虚に」というのもモコさんから教わった。
これからは自分に対して謙虚に。
他人にではなく、自分に謙虚になる。
それを意識したら、色んなものの見方が変化してきた。
意識が散漫になることも減った。
散漫さはあるが、続けていってみよう。
朝を迎えた喜びの中でブログを書いた。
おはようございます。
今日という日を、全うできますように。
お読みいただきありがとうございます。

〜Sango理念〜
のびのび わくわく らんらんらん
🌳一般社団法人Sango
リフォーム加速の中で
最近、お山のリフォームが加速している。
ものすごい勢いだ。
毎日、どこかしらの模様替えをしていて、物の移動、棚作り、備品の断捨離、出たゴミを処分場に持って行ったり、買い出しに行ったりと、全員で動いている。
みんなが同じことをしているわけではないけど、進んでいる。
掃除、食事作りなどに動く人もいて、毎日の暮らしが、しっかりと流れている。
「整える」ことが全体で出来ている。
これってすごい。
と、Sango自慢をしておく。
私自身の最近の変化は、「恐い」の荷が少しずつ下ろせていることだ。
色んな失敗とか、マイナスの感情とか、そんなものを経験した方が、安心していけている。
経験したら、何も恐くないって分かる。
冷たい氷のスーツを着ていたのを脱いで、あれ?あったかいな、というような感覚を味わっている。
時々、氷のスーツが懐かしくて着そうになるけど「うわ、冷たい、いらん!」ってなる。
これもSangoにいるから、分かることだ。
進化変化が出来る環境にいられる幸せ。
仲間あればこそ。
落ちたり上がったり、それが人だもの。
ハッと気づいたら、思考が変わる。
その瞬間、言葉が変わる。
その、「瞬間」が、何回もあったら、人生、変化しているんじゃなかろうか。

なんだか今日は文章がまとまらない。
取りとめのない文章になりそうなので、これで終わることにする。
今日も一日、ありがとうございました。
〜Sango理念〜
のびのび わくわく らんらんらん
🌳一般社団法人Sango
意識
みんなで集まって、話し合い。
なかなか意見が出てこない。
今日はいったん終了。
そのあと、夕食を食べながらおいしい日本酒をいただきながら、ゆんたくタイム。
リラックスしたら、色んな意見が出始める。
ガッチリと仕事モードの意識になるから、こうあるべき、とか、正しい意見を述べなければという思考になる。
もっ肩の力を抜いて、人にどう思われるとか関係なしに、こうしたい、という正直を伝えればいいんだ。
そもそも、頑張れないんだから、頑張って気を張る必要もない。
どんどん楽になる。
嬉しいよ。
〜Sango理念〜
のびのび わくわく らんらんらん
🌳一般社団法人Sango
新しい感覚
何を大切にしたいのか。
それを考えたら行動が変わるなぁ。
前よりも気持ちが軽くなっている。
体を硬くして緊張させるのも減ってきた。
全ての物事が新鮮に見え、感じられる。
楽しいというよりは、ありがたくて、嬉しい。
新しい感覚を楽しんでいる。

なんか庭でよく咲く、ピンクのハイビスカス。
〜Sango理念〜
のびのび わくわく らんらんらん
🌳一般社団法人Sango
光が恐かった
今朝は、ザワザワした気持ちと共に起きる→
中城村のSangoパークまで草刈りに行きながら、仲間に話を聞いてもらい、感情の整理→
草刈りで元気になる。
という一日だった。
*********
やたらと光ばっかり求める時があった。
闇などあってはならない、闇は打ち消さなくてはならない、光を見ていなくてはならない、とでもいうかのように。
闇に対する強い拒絶意識があり、その対極にある光ばっかり求めていた。
そして最近は、その逆になっている。
光の部分に目が行かず、自分の闇の部分に意識が行き、そこばかり見てしまうとか、気分が落ち込むとかいうことがある。
家族との、過去の出来事(悲しかったこと、感情のすれ違い、理解してもらえなかったとこなど)を思い出して、悲しみや腹立たしい感情を反すうしたりしていた。
以前は潜在意識に隠して、見ないようにしていた、闇の部分だ。
最近はこれらを見ることが出来るようになった。
でも逆に、今度は闇に、好んで入り込んでいっていないか?と、今朝、ふと思ったのだ。
1くらいのことを、100くらいの大きな出来事にしてしまっているんじゃなかろうか。
例えば、昔の出来事を思い出して、出てきたマイナス感情を認めて、許す。
そうすることで、心の傷は軽くなり、魂は変化していっている。
暗い闇を表に引っ張り出して、光に変えていっている。
なのに、その記憶に何回もアクセスして、その時の気持ちを何回も思い出そうとしたり、自分の闇からなかなか離れられなかったり。
これってひょっとしたら、光に対する恐怖感があるからなんじゃ?
「光に向かっていることが恐い」んじゃないか?
色んな感情を認め、「許し」を自分の中で行ったことで、もう心は変化している。
魂は成長して、霊性も進化している。
しかし、その進化が「恐い」んじゃないかと。
自分が、光に行けるはずがない。
みたいな。
闇から光に向かうことへの恐怖感。
恐怖感から逃げたいという意識が、闇に引き戻す。
長らく闇にいたから、そこにいる方が安心するからだ。
恐れって、何にでも現れてくるんやなぁ‥。
進化して光に向かうのが恐い、は確かにある。
深刻すぎるんだな。
小さなことを重大な出来事にして、「解決するのは難しい」出来事に、自分でしちゃってる。
そこまで気づいたら、あっほらしー。
と、思えた今日の朝だった。
そして、仲間と一緒に思いっきり体を動かして、畑(Sangoパーク)の草刈り。
祈ってから作業を始め、草や土地と意識で会話して、無意識でも会話して、軽やかに気持ちよくできた。
誰かと一緒に、何かをやるっていいな。
お日様の下で動くと、エネルギーも満たされる。
感謝。
今日という1日をありがとうございました。

ビフォー

アフター
〜Sango理念〜
のびのび わくわく らんらんらん
🌳一般社団法人Sango
貴重なワーク
今日から福島県でのワークに参加している。
午前中に動画の上映が始まったが、それは見ないで仲間と3人、部屋を出て別のフロアに移動。
お金の話をした。
私が22日から福島の人達と行く、巡礼の旅にかかるお金についての話だ。
じっくり時間をかけて話していくうち、感情の引っかかりが色々出てきた。
感情を整理していくうち、最終的に、思いもよらない傷があったのを見つけることができた。
私は7歳の時に父と出かけて、歩いていた時、速いスピードで走ってきた自転車にぶつかる事故にあった。
その時、右半身の肋骨が全部へっこんだ。
おそらく右側の肋骨全部折れたんだと思う。
ぶつかって倒れ、呼吸が出来なかった。
息が出来ないから、声も出ない。
口は開いても、口パクしか出来ない。
倒れながら見ると、父はスタスタと前を歩いて行っている。
気づいてないのか。
見たくなかったのか。
大丈夫、とか、救急車とか言っている人の声が聞こえ、自転車の男の子も心配して大丈夫、と聞いてきたが、私は口パクで大丈夫とか言って、息が出来ないのに立ち上がって体を両手で押さえ、体を丸めながら父を追いかけた。
息が出来ないから、まさに息も絶え絶えだ。
ヨロヨロだったはずだ。
結局、家に着くまで歩き、父には何も言わず、病院に行くとかもしていない。
救急車も呼んでいない。
翌日は体の右半分、内出血で紫になっていた。
さらにその翌日は、真っ黒に。
びっくりして、私は死ぬのかなと思ったりした。
事故後から、体を丸くしないと激痛が走るから、エビみたいに丸くして過ごしていた。
そして長い間、まともに息ができなかった。
吸うと肋骨に激痛が走るからだ。
事故の時、歩いて行ってしまう父に「助けて」と言いたかったが、私は飲み込んだ。
苦しかったが、倒れたままでいることも選択せず、
置いてかれたら大変だという気持ちしかなく、必死で追いかけた。
帰宅後も、両親に言わなかった。
強烈に切望したはずなのに、そこまでして飲み込んだ、助けての感情。
今日は仲間の力を借りて、記憶をじっくり見つめ、深く掘り下げたら出てきた。
実は事故の時だけではなく、私は普段から、父に見てもらっていなかったのだ。
そして母にもだ。
気づいて愕然としたが、事実だった。
私が黙っていたとはいえ、子供の様子がおかしいとか通常は気づくのではないか、と伝えてもらい、ハッとした。
父はそういうことに気づかない人だったのだ。
あるいは見ない人だったのだ。
母も気づかない人だった。
あるいは見ない人だった。
2人して私の様子を見ていない。
見ていたんだろうけど、肝心のところを見てなかったんだと思う。
親にちゃんと見てもらえない、というのが常態化していて、自分で何とかしないと、という感情が子供の頃から芽生えたのだ。
つまり私は、完全にアダルトチルドレンだった。
そんな認識、今日までなかった。
見てもらえない、という日常が心の傷を作り、相談ができないという自分の癖を作っている。
お金の相談だけではない。
すべてのことに影響している。
どうせ見てもらえないのだから、という感情。
そんな心の傷が、脳の働きも狭めているんだなと思った。
虐待された子供は、思考能力に問題が出ることが多いというのを、本で読んだ事がある。
私もそれじゃないのか。
父は悪気はなかった、父も弱かったんだ、誰にでも弱さはある。
と、父を理解した「風」にして、大きなショックを受けたであろう出来事を、スッと流そうとしていた。
重いことを軽く流し、精神的な虐待を受けたという事実から目を背けていた。
そうだ、これは虐待だ。
恐かった。悲しかった。
それを言葉にした。
泣くまでには至らなかったが、泣きたい気持ちになった。
今までずっと、自分の感情を見ることをしてこなかった。
過去の傷を終わらせるためには、見ることをせずには終わらせられない。
最近、それをやり出して、前よりは感情が出てくるようになった。
でも1人だけでは感情のフタが完全には外せないから、仲間が2人、手伝ってくれたことは、天の計らいに違いない。
そうやって長い時間をかけて、自分の傷に向き合うことが出来た今日という日は、貴重な日だった。
ワークの動画は見ていないが、自分にとってはこのことがワークだった。
今回福島ワークに来る前に断捨離をしてきたから、その効果もあったと思う。
スッキリと終わらせる時が来たのだ。
今日のワークと、今日の流れと、仲間と、自分に感謝。
大切な一日をありがとうございました。

〜Sango理念〜
のびのび わくわく らんらんらん
🌳一般社団法人Sango