傲慢さは、ずっとついて回るものだなぁと思った。
人の話を聞く耳を持たないとか、言われたことに反抗するとか。
人に寄り添うということができないのは、それを今までの人生でやってこなかったから。
仕事のために、誰かに寄り添うことはやってきた。
でも、心と心で寄り添う、というのはしてこなかった。
自分の意識の中に、人がいない。
自分しかいない。
目の前にいる人が何か言っているのを、恐れで聞くから、早く対処しなくては、になる。
人(魂、こころ)が言っているという意識がない。
人をモノ扱いしている。
人(魂)との関わりをすることよりも、仕事を仕上げることに一生懸命。
そして「対処しなくては」で動いているから、飽きる。続かない。
これまで学んできて、小さいことでも出来るようになったことがある。
でもそれも、精神的に余裕がないから見えない。
やる事に気持ちが忙しくなり、対話を失う。
そして自分のサイコパスに苦しくなり、もがいている。
魂が進化・変化しているのに、見ようともせずに。
自分が進化・変化していることを見ることが出来れば、自分を愛することができる。
自分を愛することができるから、人も愛せる。
自分を嫌っているうちは、誰も愛せない。
全ては鏡の法則。
(↑今まではこれ。)
人を愛するには、自分の「出来た」ことを細かく見て、褒める。
そこから始めることだ。
(↑次に進むのはここ。)
褒めないのも、傲慢さだ。
そんな事に気づかされた今日だった。
自分を褒めて、「傲慢」の逆、「マンゴー」になろうではないか。
(個性の強いマンゴーだなぁ。)
お読みいただきありがとうございました。
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