今日、だいぶお待たせした依頼品のキーホルダーが完成した。
数々の不具合、試行錯誤があって、それをどうクリアーしていくかを、やりながら学び、超えていくという毎日だった。
まず、木に焼き付けて絵や文字を描く、電熱ペンが紛失した。
いくら探しても見つからない。
同じようなもので、はんだごてを持っていた。
はんだごてでも焼き付けることはできる。
電熱ペンの代わりに、はんだごてで作品を作ることにした。
しかし、使ってみると使い勝手には雲泥の差があった。
まず、電熱ペンは細い。
グリップ部分にもゴムが付いていて、手に優しい。
本当にペンを持つようにして、焼き付けていける。
しかしはんだごては、握るところが太い。
そして全体的に長い。
下半分がこて部分なので、熱くなる。
上半分を持つしかない。
例えば、ペンの上の方を持ち、ペン先がだいぶ遠い状態で、絵を描くような感じになる。
最初の何個かはできた。
でも、そのうち手に変な力が入り始めた。
無理や我慢をしていると、いい物が出来なくなる。
少しやっては休む、を繰り返した。
そこで、何で電熱ペンがなくなったんだろう?と考えた。
私の木工雑貨には、電熱ペンがほぼ毎回登場する。
使い倒すアイテムだ。
しまう場所は決まっているから、違う場所に置いたというのも考えにくい。
なくなったという状況が、とても悲しかった。
自分にとって大切なものが消えるって、どういうことかな?
そこでハッと気づいた。
キーホルダーを作るにあたり、「どうしよう」という迷いがあったことに。
同時期に、木製コースターの依頼も受けていた。
私には、物事の優先順位が決められないという発達障害の特質がある。
どちらも大切にしたい、と思うと、どちらにも意識が向いてしまう。
毎日、キーホルダーとコースターの両方を頭の中で気にしながら過ごしていた。
両方を気にしているから、片方をやっていても、もう片方が気になる。
そんな状態では、いい物などできっこない。
だから、作ることをストップさせられたのだ。
どちらかに「決める」が出来ないのは、
遺伝子易経の、11番の心の闇「曖昧さ」が出ているのだと気づいた。
ならば、今決めようと。
曖昧な自分、決めきれない自分にサヨナラして、決められる自分になろうと思い、「今はキーホルダーやります。」と決めた。
すると、なくなっていた電熱ペンが「見つかった」という知らせをその日のうちに受けた。
決めたら現れた。
迷わずに、決めることをしたから、使ってヨシ!という許可が自分に降りたのだ。
あとは、木に塗ったニスが金具にも付いてしまい、乾いたら固まって、取るのが大変だった。
これに結構、時間を要した。
ニスを塗ったあとに金具をつけられたら一番いいけど、工程上それはどうしても無理で。
最初に金具を付けるしかないので、これは今後、工夫していきたい。
他にも、細かいハプニングが色々あった。
でもそれが、色々と考えて工夫するきっかけになったので、結果、とても成長できた。
明日納品。
ありがとうございました。
明日からは、お待たせしているコースター製作に移ります。